猿の親子

できれば考えたくないことですが、自分が30代も後半に差し掛かったということは、親もそれだけ年を重ねたということ。

自分の将来についても考えますが、親の死についてもときどき考えるようになってきました。

この歳なので、もちろん親とべたべたしているわけではありません。

すでに家庭を持ち両親とは離れて暮らしているので、しょっちゅう会うわけでもありません。

それでも、自分にとってたった一人のお父さん、お母さんが亡くなることを考えるだけで悲しくなります。

やっぱりいくつになっても親は親。

心の依りどころなんですよね。

たとえば親が大病を患うかもしれません。

あるいは認知症になってしまう可能性もあります。

そのとき自分はどんな気持ちになるんだろう。

認知症のお父さんを介護している友人は、父親がだんだん子どものようになっていくと言っていました。

尊敬していた父親が子どものようになっていくなんて寂しいだろうな。

衰えていく親の姿を目の当たりにしながら辛抱強く介護をする人たちは、本当に立派だと思います。

ぼくの場合は長男だからなのか、母親のほうが仲が良かったんですね。

大人になってからも時々グチを聞いてもらうと落ち着いたりして。

だから、もし母親が病気になって命の危険が・・・なんて言われたら耐えられないんじゃないかと思います。

親が弱っていくという現実から目を背けずに世話できるのか、支えてあげなきゃいけないのに、こちらがクヨクヨしてしまうのではないかと思ってしまうのです。

ましてや親の最期に立ち会うことになったとき、取り乱してはしまわないかと。

でも以前に読んだ本にはこんなことが書かれていました。

老齢の親の最後が近づいたとき、泣くことを無理に抑える必要はありません。

子どもが悲しみの涙を流す時、親は子どもを慰めることによって最後にもう一度、親としての役割を果たすことができるのです。

そうか。

自分にとっていつまでも「親は親」であれば、

親にとっても「いくつになっても子どもは子ども」なんだ。

子どもがいい大人になっても、親にとっては愛する我が子。

苦しんでいるときには慰めたいと思ってくれているんだ。

そう考えると救われました。

最期に泣くことが親孝行というわけじゃないけれど、そうなるほどに愛することが、最高の親孝行になるのかなと思います。

幸い、今のところ両親は元気です。

でもいつ何があるかわからない。

もっと大切にしたいと思いました。

そして親が衰えていったとき、現実をしっかり見つめて世話したい。

いつまでも「愛する我が子」でいたいと思います。